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2016.09.12 あれから一年 [雅楽]

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2016.09.03 真夜中の自宅でGPSが示した現在位置


ウォーキング中に不注意から転倒して、
背骨を圧迫骨折する事故に遭ってから今日で一年。
私にとって確かに大きな怪我ではありますが、
それ以上に様々な偶然が伴い人生観さえ変わったので
怪我以上に大きな出来事であったと思います。

元々は奈良の神社で催される禁足地登拝に参加する予定で、
体力作りのためのウォーキングでした。
そして事故当日、
不思議な体験をしながら転倒しました。

当然、禁足地登拝はキャンセル。
さらに、
出演を控えていた雅楽の演奏会二つもキャンセルしなくてはなりませんでした。

その時のエピソードは、こちらで


雅楽の演奏会参加は9月に二つ、
昨年で2年目の予定でした。
初めての参加だった一昨年は
周囲の出演者の方々にアドバイスを受けながら,
舞台に立てたことが嬉しくて感動しながら終えることが出来ました。
そして2年目は、
より稽古を積んで臨もうとしていた矢先に事故が起きました。

そして今年、
ようやく今年の演奏会参加が近づいてきました。
その間、
稽古を積んできました。
しかし私の年齢で雅楽を始めたのは、
やはり遅かったのだと痛感することになりました。
周囲の心ある方々は、
「始めた時からがんばれば良い」と励まして下さいます。
しかし、この先何度舞台に立つことができるだろうか、
上を目指すことができるだろうか。
チャンスは残り少ないのだと感じました。
師匠が若い人を育てたいのは当然であるし、
若い人の伸びしろは無限大です。
遅すぎるスタートだった私が目指せる道は、
限られてしまっているのです。
その残り少ないチャンスに怪我によるキャンセルは、
怪我以上に痛手でした。
私の心から、
「また次回」という考えは消え去りました。
「次回は訪れないかも知れない」、そう思うようになりました。
運が良ければ次が訪れる、
その時のために稽古は精一杯がんばろう・・・そう思うことにしました。

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多摩動物公園に隣接する、かたらいの路
私はここで転倒しました


事故の直後、
足の指先を感じることはできる・・・立つこともできる・・・歩くこともできる。
神経を通す背骨を潰したことで生じた障害は、
ありませんでした。
私の運命を司る神様がいらっしゃるとしたら、
そのお方は何の障害も与えることなく今日の日を迎えさせて下さいました。
それはやはり幸運なのです。
休養を余儀なくされた3週間、
その間に私が最も楽しみにしていた禁足地登拝と2つの演奏会が入っていました。
どんなお仕置きだったのだろう、
まだ思い当たりません。

先日真夜中にポケモンGOアプリを立ち上げると、
「おや?ここはどこだ?」という地図の中に立っていました。
やがてそこは、
私が転倒したウォーキングコースに隣接する多摩動物公園であることがわかりました。
自宅から電車で10分、さらに徒歩で20分ほどの場所です。
一体なぜ、
ここまで私の現在位置は飛んでしまったのでしょうか。
まるでここが私にとって因縁の地であることを誰かが告げているのだと、
背筋が冷える思いがしました。その後にも先にも、
GPSの誤動作は起きていないのです。


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2016.04.29 橿原神宮 久米舞 [雅楽]

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2016.04.29 橿原神宮 昭和祭


昨年秋、橿原神宮御本殿公開に伺いました。
その際、
こちらでは年に数回、久米舞が舞われていることを知りました。
鮮やかな橙の装束、
ここ数年日本の古代芸能にも縁があったので
久米舞を拝見できる日に憧れていました。

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2015秋の公開で拝見した、久米舞装束


4月29日は、
奈良では春日大社・和舞、東京では明治神宮春の例大祭舞楽奉納。
・・・・・身体が二つ欲しい。(-_-)
この日に橿原神宮でも昭和祭にて久米舞が奉納されると聞いて、
今年は奈良へ出掛けることにしました。
久米舞は、僅かながらもこれから縁を結ぶ機会もありそうです。

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橿原神宮、
回廊に取り囲まれた空間は、白砂で清浄な輝きに満ちています。
この日は、
畝傍山の方角から風が吹き降りて神職たちの衣をたなびかせます。
ああ、神様の気配はやはり風に感じます。

神宮の回廊内は格段に広いので、
神事の様子は外拝殿で参拝する私たちにはほとんど分かりません。
神事の間聞こえてくる奏楽に、
耳を傾けていることができるくらいです。

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橙の袍に身を包んだ舞人、
その美しい姿を拝見できただけでもありがたや・・・・(o^^o)
神域に流れるのは、
笛・篳篥・和琴に歌。
ゆったりとした曲の流れは、
日頃の私の生活では失ってしまった速度です。
風に流れる舞人の袖、浅黄の裾、
太刀を振り下ろす仕草も、心が躍ります。

秒速で動く日頃とは同じ時代なのだろうかと思うひととき、
過させていただきました。
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2016年 舞楽・蘇莫者 [雅楽]

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1994.11 天理大学雅楽部による蘇莫者


今年は申年、
舞楽で最も上演されるのが『蘇莫者』です。

1、聖徳太子が信貴山に行くとき尺八を吹いたところ、
山神が現われて舞ったものを四天王寺の楽人がこれを元にして舞を作ったという説。
2、役行者が笛を吹きながら大峯を行くと、
その曲に感じて山神が舞ったという説。
などの伝説を持つ舞です。

楽家の薗家に伝えられ一子相伝とされていますが、
長子相伝で他家の使用を禁じた黒い老猿の面が伝えられているとのこと。
私は6年前に薗家の伝承者であった方の舞を、
偶然拝見しました。
まだ龍笛を始めたばかりの頃であり、
今思えばもっともっとしっかりと拝見しておけば良かったと思います。
舞は薗家長子から別の舞人へ受け継がれたとのこと、
果たして全てが受け継がれたのでしょうか。
雅楽の世界では、
正統でなければどこかに変化を付けて伝えることも多いのだそうです。

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2002.04 法隆寺聖霊会


これに先立つ2002年、
10年に一度執り行われる法隆寺聖霊会でこの舞を拝見しました。
雅楽にうっすらと興味があったながらも、
全く分からずに舞を追っていました。
法隆寺の飛鳥伽藍に鎌倉時代の部材で舞台が設えられ、
源頼朝寄進のだ太鼓に乗せて山の神が舞います。
いつもは観光客の姿ばかりの伽藍が、
幽玄の世界に変わったひとときでした。
10年後の2012年に行われた聖霊会では、
舞の奉納直前に降り出した雨で結局中止となってしまいました。
2022年まで待つしかありません。

さらにこれに先立つ1994年、
斑鳩町は天理大学雅楽部による蘇莫者を上演しました。
私も物珍しさで拝見しました。
当時の大学生たちは、
今雅楽を続けているのでしょうか。
そうであれば、
様々な場面で大活躍の年頃の方々でしょう。

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2015.10 明治神宮


昨年末、
今私の師匠を勤めて下さる先生方による蘇莫者を拝見しました。
技術だけではなく、
観衆をグッと引き寄せて別世界へ誘う迫力を感じます。
拝見する私も、
しっかりと雅楽を教わる環境に身を置くことになりました。
自分がどこまで歩み続けることができるか、
この舞と共に見守っていきたいです。
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父の記憶 「神田囃子」・後編 [雅楽]

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2013.05.25 神田明神
周辺は、異次元の世界となってしまいました。

本来なら、
私も神田囃子を継いでいたのではないかと思うことがあります。
しかし、
父娘の間には得体の知れない溝がありました。
今、私が雅楽を学ぶことに喜びを感じていること、
父は知ることなく他界しました。
ずっと後になって、
父は密かに私が笛を手にしている姿を望んでいたのだと母から聞いて、
ジャンルは違うけどそれが私のあるべき姿だったのだと
ようやく視界が開けてきたように思えます。

神田囃子の説明、後半です。

(聴どころ)
(1.)「屋台」に於ける、徐々に加速されていく運びの中で、五人の呼吸が一致していく様子。
(2.)「昇殿」「鎌倉」の笛の唄。(及びそれを引き立てる為の太鼓のしらべ)
(3.)「四丁目」に於ける、盛上りの様子と玉打ちの技術。
(4.)右の中に高揚された気持を「屋台」の加速により尚高めて終わる様子。


尚、標準の曲の組立は、
 「屋台」―「昇殿」―「鎌倉」―「四丁目」―「屋台」(上り)

となっていて、通常十分~十五分位で演奏される。


「寿獅子」
(概要)
我が国では全国に色々の獅子舞があるが、
江戸の獅子舞は中でも非常に様式化されていて、
「マグサ獅子」と称して正月、
大店や旧家の座敷に招かれて「福」を呼び込むと云ういわれで舞うものと、
正月や結婚式などの祝いの宴席などにて(座敷にて)行われるものとあって、
いづれも同じものによって行われている。
「獅子」は神の使いとされ、悪魔を払い福を招くとされ、祝いの席で多く演じられる。


(内容)
獅子は原則として一人舞であって、
これに「モドキ」と称して「ヒョットコ」「おかめ」等がからむ変化するものもある。
伴奏は前段の囃子の形を簡略化したものであって、
すなわち締太鼓と桶胴(大太鼓の替り)を一人にて打分け、
これに笛・鉦の三人にて演じられ、曲の内容も「囃子」をスピーディーにした形で演奏される。


(舞の内容)
① 始め獅子の雄々しい立舞があり
② 次に「餌拾い」から
③ 「ノミ取り」と身近のまわりの所作になり、これに疲れて
④ 「ねむり」(居ねむり)となって、子守唄につられてねこむ
⑤ 首をついた為に眼ざめ、起出してから色々と体を動かしてから最后に
⑥ 「シャチ」と称する逆か立ちを演じて獅子が完全に眼ざめた様子を表現する
(この部分が舞手一番難所とするところ)
⑦ 最后に立上って始めの様に雄々しく立舞をして終る
所要時間約八分


(見どころ)
① 伴奏の曲の変化につれて、前述の運びのように舞の性格が変わっていく様子と
② 「ねむり」に於ける「静」の呼吸
③ 更に「シャチ」の猛々しい様子等である


「獅子頭(カシラ)」の動きのないものを用いて、

音楽と演者の体の動きによって色々な表情が出て来る所が興のつきない所であります



年が明けると、
父の後継者たちが都心で獅子舞を披露するイベントも行われるようです。
私が幼い頃、
正月と云えば都心の神社へ駆けつけていた父の姿を
今また思い浮かべることができました。
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父の記憶 「神田囃子」・前編 [雅楽]

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2015.12.19 山王坂から日枝神社へ


今年は、
例年にも増して年末の掃除に力を入れております。
9月に3週間の療養を経験し、
とにかくモノの倉庫となった自宅を何とかしようと
まだ痛む身体にむち打ちながらがんばっております。

引き出しの奥から、
一通の古い封筒が発見されました。
他界した父による、
「神田囃子」についての説明文が入っていました。
何かの出版物に投稿しようとしていたのでしょうか。
少し目を通して、
私は驚きました。
神田囃子の演者であった父は、
ただ演奏していただけではなく説明文を作成していたのです。

私が父と過した時間は、
多くはありませんでした。
いったい私は父をどれだけ知っていたのだろう・・・・
新たな発見が、
今になってありました。
私が雅楽に取り組む姿を、
知人たちは「父の血が導いた」と口々におっしゃります。
そうであるかもしれないな・・・・
今回そう感じました。

文面は少しお見苦しいかも知れませんが、
父の文章を忠実に再現してみました。
次のお正月
どこかで神田囃子に出会えればと思い
このブログに掲載します。
まずは、前編。

神田囃子
(歴史)
「神田囃子」の原型である「江戸祭囃子」は、
享保年間葛西領(現在の東京都千葉県の境付近)香取神社神主能勢環(ノセタマキ)が
若者の不良化防止のため近隣の若者を集め囃子をおしえてから盛んになり、
当時江戸城の鎮守・神田明神の「神田祭」・日枝神社の「山王祭」などに進出して
江戸町民に喜ばれ、それより各地に発展して「神田囃子」「佃囃子」「玉川囃子」等々として
伝えられているもの十数組もある。
これらは曲の形式・楽器の編成とも皆殆ど同じであるが、
伝え方の方法で若干の「おもむき」の違いがある。
中でも「神田囃子」「葛西囃子」は、
標準の江戸前のものを演奏することとして知られている。


(編成)
演者は五人で、
締(シメ)太鼓(小太鼓)二丁・大胴(大太鼓)一丁・鉦(カネ)一丁・篠笛一管を用いて演奏される。
関東一円に於ける「祭囃子」の演奏型式は、
この編成によって演奏されるものが殆どである。


(内容)
組曲として演奏される基本曲があって、
他にこの中に変化を加えるために挿入する「秘曲」と称する小曲が十種類ほどある。
その他独立して「獅子囃子」・「神轝(ミコシ)囃子」があるだけで、
他の邦楽の様に色々の曲目があるわけではない。
基本曲は「屋台(ヤタイ)」(これは前后二度演奏される)・「昇殿(ショウデン)」・
鎌倉」・「四丁目(シチョウメ)」の四つの小曲から成立していて、
序破急の基本にのっとって配列されています。
「屋台」「四丁目」はリズミカルな速い曲で、
中でも四丁目の「玉(タマ)打ち」と称して締太鼓の演者が
銘々に交互に自分の技倆一杯にアドリブを打ち込む(十秒~二十秒)部分があって、
ここが囃子の聴きどころとされ、又、打手の技倆を測るところとされている。
「鎌倉」・「昇殿」は、
笛の情緒があるメロディにつれてゆるやかに打込む小太鼓と大太鼓の調子は、
古くから祭礼の朝早く、または夜などの静けさの中で情緒をそそるものであって、
他の速曲と対照的な効果をあげている。
曲の進行は笛のメロディによってリードされ、
その運びの如何によって曲の組立を変えたり「秘曲」をはさんだり、
又、曲全体を短くも長くもすることができる。


お正月には、
神田囃子を探しにお江戸を散策してみようかしら。
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2015.10.31 明治神宮秋の大祭 舞楽奉納 [雅楽]

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2015.10.31 明治神宮大祭 新蘇利古


雅楽を教わるようになって、来年でまる4年。
学んでいる方々からすればまだまだキャリアも浅く、
始めた年齢が時既に遅しなので
技術もそれほど伸びるとは思えません。
それでも
できることは惜しまずに努力したいと思っております。
自分で演奏することもさることながら、
良い演奏は体感して耳や身体に浸透させたいと思います。

今年はお天気も持つようですしスケジュールもうまく整ったので、
明治神宮の舞楽奉納へ出掛けることが出来ました。

振鉾
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左舞・右舞で一節ずつ舞われました。
かつてはさらりと通すように見ていた舞いですが、
今では左・右の差や鉾を振り下ろすタイミングを
注意して見ます。
舞台を高揚させるように乱れ奏でられる龍笛。
天空を何頭かの龍が激しく舞い飛ぶようです。
一瞬のタイミングでピタリと止まり、
1頭の龍だけとなって舞うところが決めてですね。

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舞台に聖徳太子である御笛役が立ち笛を奏で始めると、
その音に歓喜した山の神がやってきて舞い出します。
太子の笛は、
広い明治神宮の森深く響き渡りました。
山の神は、ダイナミックに舞台狭しと舞います。
深く澄んだ龍笛の音色、
その音色に少しでも近づきたい・・・・私は聴き入りました。

新蘇利古
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ミステリアスな面をつけた舞です。
「千と千尋の神隠し」にもお出ましの神様・春日様を思い起こします。
一時期春日大社でもこの面のお守り?が授与されましたが、
今は見られなくなりました。
外で舞う舞楽は、裾や袖が風になびいてなんとも優雅。
雅楽には森が似合います。

さすがは明治神宮、
たくさんの参拝客が舞台を取り囲んでいます。
外国人の姿も多く、
驚いたように目を見張ってカメラのシャッターを切っています。
残念なのは、
全く臆することなくしゃべる観光客。
奉納行事が行われているのだから、
静粛を心がけることは誰もが自然に気づくべきではないでしょうか。
神社という場所が、
既にイベントスペースと解釈されているのだと思います。
神社と観光がイコールとなってしまうことに、
危機感を感じるのは私だけでしょうか。
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2015.07.04 七夕・乞巧奠(きっこうでん)飾 [雅楽]

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雨の多い今年の梅雨、
この週末私の休暇は3連休になりました。
雅楽のお稽古以外、
なにも予定を入れていないお休みです。
春の大型連休からこれまで、
公私ともに大変忙しい日々が続きました。
長く溜め込んだ疲れが顕著に出てしまい、
朝方起き上がることができません。
それでも「病気」という形で身体に出てこなかったのは、
この3日間の休養でだいぶ楽になれるのではと思います。

相変わらずホロホロと雨の落ちる土曜日の宵ですが、
我が家からは電車と徒歩で30分ほどの大宮八幡宮へ。
雅楽を初めてからこれまで2度参列した経験のある、
雅楽の夕べへ出掛けました。
昨年は出掛けなかったので、
本格的にお稽古を始めるようになってからは初の参列です。

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日本の棚機女(たなばたつめ)の信仰や
中国の織姫・牽牛の星祭りが重なり、
宮中を中心に技芸の上達を祈る七夕行事です。
短冊のルーツと云われる梶の葉や五色の紙垂を四方にめぐらせ、
詩歌・管弦、書道裁縫などの上達を祈り
筆硯・雅楽器・糸などをお供えして飾ります。

短冊の基となった梶の葉、
様々な願い事が書き記されることでしょう。
ふざけた願いを書く呆れた人も少なくない中で、
自分の愛する人の幸せを切に願う短冊を多く見かけます。
街中での笹飾りに掛けられた短冊、
笹飾りを掛けた主も短冊の願い事が叶うように心がけましょう。
短冊に願いを込めた人たちの思いが神様に届きますように。

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神職による雅楽と神楽の奉納、
私は雅楽を学ぶにはかなり遠い立場なんだな・・・・と思いました。
私の所属する雅楽会も、
神職や神社・寺院に関わるお仕事をお持ちの方が大半です。
それでもなんとか仕事や生活の環境が稽古の時間を与えてくれるし、
何より笛の稽古が大好きです。
始めるのが遅すぎたのは後悔ばかりですが、
それでも人の前で演奏出来る機会まで恵まれました。
あとは衰えてしまう一方かもしれませんが、
楽しく稽古を続けられるよう乞巧奠に願いました。
昨年その神秘的な音色に惚れ込んで手に入れた神楽笛、
これらの笛が美しい音色を奏でてくれますように。
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2015.05.18 丹生都比売神社 理趣三昧法会 [雅楽]

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2015.05.18 丹生都比売神社 理趣三昧法会 庭讃


しばらくブログの更新をお休みしておりました。
その間、
私は高野山へのツアーに参加しておりました。

5月18日に厳修された、
丹生都比売神社・理趣三昧法会に参列しました。
2013年に国立劇場で催された、
天野社(あまのしゃ)の舞楽曼荼羅供(ぶがくまんだらく )
この壮大な神仏習合の法会がもしも神社で行われたなら、
何を置いても参列したい・・・・・
そう思っていました。

そして今年、
高野山開祖1200年記念法会の一環として行われると聞き、
スケジュールを調整して出掛けることにしたのです。
3月に高野山町石道を歩いたのは、
この日のための予習です。
かつて天野社と呼ばれたここ・丹生都比売神社、
どのような地であったのだろう・・・
高野山まで歩くことで当時の人々の心を思い起こしたかったのでした。
舞楽曼荼羅供より少し規模を縮小した理趣三昧法会となりましたが、
それでも3時間に及ぶ立派な法会です。

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奈良で出会った雅楽を通じた友人の計らいでツアーに参加、
関係者席での参列となりました。
ご神前に供えられた供物のさらに前には護摩壇、
私もこれまで様々な神事や法要に参列しましたが
ワクワクするような光景です。

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神社の境内にお坊様の姿があるのも、とても新鮮です

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3時間の参列はお尻に響きましたが、
その間ずっと楽坐で演奏していた楽人さんのご苦労を思うと
私はそれでも楽だったはずです。
僧侶の声明と共に雅楽が演奏され、
行道と共に舞楽が優雅にそして力強く舞われます。
神仏分離以前の法会は、
こんなにも静かな天野の里に響き渡っていたのですね。
この地へ導いていただいたことに、
感謝です。

法会が終了して、思いがけない方との再会がありました。
4月に皇居で催された雅楽の演奏会で、
偶然隣り合わせてお話した方が高野山参詣で神社にお越しになっていたのです。
縁のある方は必ず再会できると信じていましたが、
ここでお会いできるとは私も驚きました。
私のツアー参加もたくさんの数奇なご縁の重なり、
やはり計り知れない慈しみを感じてしまいます。
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演奏会の前後 [雅楽]

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2015.04.09 楽屋でお弁当 完食できました (o^^o)


9日に自らステージに立ち、
演奏会に臨みました。
その後師匠からのお言葉や、
会員の皆様との会話・会長からのお言葉など
いろいろ喜んだり反省させていただいたりしました。

出演に際して私が心得たこと。
「楽しむこと」。
舞台の上で不安と緊張に苛まれ、
後悔だけを結果として終えるのは情けない。
ステージに立てた喜びをじっくり噛みしめながら、
演奏したい。
今回無事に、
その希望を遂げることができました。
稽古も、
目標に向けて自分なりに積み重ねてきました。

演奏会出演の前後、
いくつかの演奏会へ足を運びました。
まさに研鑽を重ねている方々の発表会から
今聴くことの出来る最高の楽まで。
生の演奏を聴くことは、
それそのものが稽古だと思うのです。
他の方の演奏を聴くことによって、
聴く立場から改善点を見つけ出すことが出来ると思うからです。
聴く力も磨き上げなければ、
良い音楽を奏で出すことはできないと思うのです。

演奏会出演を終えてから、
もしかしたら私は上手になったんじゃないかな・・・
などという慢心も沸きました。
でも、
他の方々の演奏を聴いて自分の思い上がりにも気づかせていただきました。
今回の経験を一つの節目に、
これからも雅楽を聴いて奏でて楽しんでいきたいと思いました。

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2015.03.27  丹生都比売神社 [雅楽]

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2015.03.27 丹生都比売神社


今回の旅のメインスポットは、
ここ・丹生都比売神社です。

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高野山・奥の院で日の出を迎えた私は宿坊に戻り、
急ぎの朝食を摂ってバス・ケーブル・南海電鉄・JRを乗り継いで、
笠田駅に到着しました。
高野山の麓ながら、なんと複雑な・・・・(ーー;)
ここで友人と待ち合わせ
台数の少ない地元のタクシーの到着を待ちました。

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バスは30分後の運行に向けて、休憩中・・・(-_-)


コミュニティーバスもあるのですが、
接続が悪くて時間のロスが大きいです。
足のない観光客にはバスが頼りなのですが、
収支を考えると切り捨てざるをえないのでしょうか。

丹生都比売神社

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高野山の麓・天野の里に鎮座。
天野社とも呼ばれていました。
高野山参詣道の中腹に広がる天野の里は、
穏やかな早春の朝の日差しに包まれていました。

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第一殿 丹生都比売大神 にうつひめのおおかみ (丹生明神) にうみょうじん
第二殿 高野御子大神 たかのみこのおおかみ   (狩場明神) かりばみょうじん
第三殿 大食都比売大神 おおげつひめのおおかみ  (気比明神) けひみょうじん
第四殿 市杵島比売大神 いちきしまひめのおおかみ (厳島明神) いつくしまみょうじん

丹生都比売大神の御子・高野御子大神は、
密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、
黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ高野山へと導きました。
弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、
山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、
真言密教の総本山高野山を開きました。

高野山上で歌舞音曲が禁止されていたため、
高野山の僧侶が中腹の天野社にも定期的に降りてきて
舞楽と声明の神仏習合による盛大な「舞楽曼荼羅供」が執り行われていました。
舞楽法会は形を変えながらも約600年間続く、
大変歴史の古いものでした。
しかし、明治期に断行された神仏分離により神社の境内から仏教色が取り払われ、
神社と高野山との関係が断ち切られることに。
天保10(1839)年を最後に、
天野社での舞楽曼荼羅供は営まれなくなりました。

2013年、
東京でこの舞楽曼荼羅供が170年ぶりに国立劇場で再興されました。
この壮大な法会、
どんな場所で実際どのように催されたのだろう・・・・
私は非常に気になりました。
そして今年・高野山開祖1200年を記念して、
どうやら法会として催されるらしい・・・・
当日運良く出掛けられたとしても、
ここ天野社を感じ取ることは難しいだろう・・・・
そう思ってまだ静かであろうこの時期に参拝することに決めたのです。

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高野山参詣道より、天野の里を臨む

深い山の中に忽然と現れた天空の仏教都市・高野山、
便利な移動手段を持たない昔の人々は
どんな思いでそこを目指したのでしょうか。
巨大な石造物が林立する奥の院や、
その中腹・天野の里の静かに佇む丹生都比売神社の艶やかな姿。
バスや鉄道を乗り継いでその不便さにたまげながら訪れた私ですが、
山を巡るいにしえの人々の姿を思い起こすと
壮大な意志に感服してしまうのです。

この春再興されるという舞楽曼荼羅供、
現代の技術を持ち得なかった過去の人々に匹敵する法会を
この時代に作り上げることができるでしょうか。
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