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2015.11.28 松花堂美術館 『ようこそ神と仏の男山へ』 [興味津々]

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松花堂美術館で、
琵琶湖畔国分太子堂の聖徳太子像が
展示されることは伺っていました。
スケジュール的に、
見学は無理であろうと思っていました。
先に関西へ出掛けた東京の知人から、
石清水八幡宮の銀製聖徳太子像も出展されていると聞いて
予定をやりくりして京都八幡市へ出掛けました。

東京で全国の聖徳太子像を探訪している知人と、
何ヶ所かの聖徳太子像に出逢いに出掛けた経験があります。
国分太子堂にも出掛けました。
しかし知人は、
そこへ出掛けた経験がないと言います。
では、
私はいつ・誰と・どうやって出掛けたのでしょう・・・・・?
一切の記憶が失われています。

国分太子堂の存在を知ったのは、
石清水八幡宮の銀製聖徳太子像を拝見した時。
もとは石清水八幡宮太子堂に祀られていた太子像が、
こちらへ移されたとのお話からです。
ということは、
石清水八幡宮へ参拝した後なのですが・・・・(^_^;)
その頃、
国民の祝日が変動することに決まって
石清水八幡宮の勅祭の日が祝日ではなくなってしまうことに
神社は悩んでいらっしゃると聞きました。

さて、
国分太子堂の太子像。
二歳の南無仏像ですが、
切れ長の目が高貴さを感じさせる御像です。
修復を施されていますが、
私の感想では同年代の生身の子供の姿であると思いました。
特に頭部に、
骨格のくぼみが再現されているのです。
後頭部にぼんのくぼがあるのには、
驚きました。

銀製の聖徳太子像にも再会できて、
感激。
当時は若々しいお顔立ちに見えたのですが、
今回お会いしたら壮年の顔立ちに見えました。
面白いものです。

久しぶりに、
聖徳太子をテーマにしたひとときとなりました。
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法隆寺金堂壁画 [法隆寺]

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2011.07.26 法隆寺金堂を火災から守る放水ドレンジャー訓練

先日法隆寺では、
昭和24年に火災に遭った金堂壁画の調査を行うとの発表がありました。
一般的には火災で黒く焦げた壁画が保存されていることは、
あまり知られていません。
今後は公開を視野に入れて、壁画の現状などを調査していくようです。

昨日東京では、
私のお手伝いする小さなサークルで催している講演会が開催されました。
はからずしもタイムリーな話題で、演題は「法隆寺金堂壁画の歴史」。
しかも講師の視点が斬新で、
大正時代にすでに壁画の保存をどのように行うか議論されていたことから入りました。
その当時の判断は写真撮影や模写を行って壁画は現状保存、
昭和・戦中に至って悲劇は起きたのでした。
もう私たちは、
創建当初の姿の壁画に会うことはできません。

私は、
炎をかぶってしまった壁画を毎年この目で見守ってきました。
法隆寺は一年に半日だけ、
申込者を対象に焼損壁画を公開しています。
当時最新の保存技術を駆使したと言われている焼損壁画、
それでも今年に至るまでに様子が変わってきました。
私が初めて壁画に出逢った時、
鼻をつく火災現場の臭いに驚きました。
壁画と一緒に保存されている焼け焦げた柱たち、
その時はまだ火災の惨状を視覚と共に嗅覚でも伝えてきたのです。
今は、
保存に使用した樹脂の化学薬品系の臭いしかありません。
壁画に描かれた仏たちも、
ゆっくりゆっくり姿を消しています。
以前は見えていたと記憶している線も、
かなり見えなくなりました。

これからの調査によって、
どのような判断が下されるでしょうか。
それはまた、法隆寺の歴史の一節に加えられて、
何年も先の私たちの子孫がどこかで耳にすることになるのでしょう。
「あの時代の技術は未熟だった」とか、
「あの時代の人たちは誤った選択をした」とか語られるのでしょうか。

昨日の講演会を聴きながら、そんなことを考えていました。

新聞社の後援で事業は進められるようですが、
法隆寺ならではの時の流れを
踏み壊すことなく進めていただきたいものです。

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2015.10.31 明治神宮秋の大祭 舞楽奉納 [雅楽]

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2015.10.31 明治神宮大祭 新蘇利古


雅楽を教わるようになって、来年でまる4年。
学んでいる方々からすればまだまだキャリアも浅く、
始めた年齢が時既に遅しなので
技術もそれほど伸びるとは思えません。
それでも
できることは惜しまずに努力したいと思っております。
自分で演奏することもさることながら、
良い演奏は体感して耳や身体に浸透させたいと思います。

今年はお天気も持つようですしスケジュールもうまく整ったので、
明治神宮の舞楽奉納へ出掛けることが出来ました。

振鉾
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左舞・右舞で一節ずつ舞われました。
かつてはさらりと通すように見ていた舞いですが、
今では左・右の差や鉾を振り下ろすタイミングを
注意して見ます。
舞台を高揚させるように乱れ奏でられる龍笛。
天空を何頭かの龍が激しく舞い飛ぶようです。
一瞬のタイミングでピタリと止まり、
1頭の龍だけとなって舞うところが決めてですね。

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舞台に聖徳太子である御笛役が立ち笛を奏で始めると、
その音に歓喜した山の神がやってきて舞い出します。
太子の笛は、
広い明治神宮の森深く響き渡りました。
山の神は、ダイナミックに舞台狭しと舞います。
深く澄んだ龍笛の音色、
その音色に少しでも近づきたい・・・・私は聴き入りました。

新蘇利古
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ミステリアスな面をつけた舞です。
「千と千尋の神隠し」にもお出ましの神様・春日様を思い起こします。
一時期春日大社でもこの面のお守り?が授与されましたが、
今は見られなくなりました。
外で舞う舞楽は、裾や袖が風になびいてなんとも優雅。
雅楽には森が似合います。

さすがは明治神宮、
たくさんの参拝客が舞台を取り囲んでいます。
外国人の姿も多く、
驚いたように目を見張ってカメラのシャッターを切っています。
残念なのは、
全く臆することなくしゃべる観光客。
奉納行事が行われているのだから、
静粛を心がけることは誰もが自然に気づくべきではないでしょうか。
神社という場所が、
既にイベントスペースと解釈されているのだと思います。
神社と観光がイコールとなってしまうことに、
危機感を感じるのは私だけでしょうか。
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2015.10.27 北鉄・門前急行 [乗り鉄体験記]

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2015.10.27 北陸鉄道 門前―金沢急行バス車窓より


祖母の墓参で輪島を訪れる時は、
大体北陸鉄道の金沢―輪島線特急バスを利用しています。

今回門前まで路線バスでやってきた私は、
バス営業所に2時間後の急行に乗ると告げて
営業所でちゃっかり荷物を預けさせてもらうことになりました。

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急行バス発車3分前、
トコトコ帰ってくる私を、
営業所の職員さんは今か今かと外へ出て待ちわびていました。
「旅慣れた人は、これが出来るんですよね・・・・^^; 」と、
荷物を手渡して見送って下さいました。

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門前―金沢線急行は、
バス停の数が格段に多く時間もかなりかかります。
始発の門前バス停から乗り込んだのは、
私ひとり。
しかしこの路線、
長い間能登の外浦の海岸線を走るんですね。
初冬の日本海の荒波が、
雄々しく迫ってきます。
海岸線を行くしばらくの間、
ひとりの時間が続きました。
ノスタルジックで孤独な旅には、
なんとも素晴らしいひとときでした。
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2015.10.27 門前總持寺 [諸国探訪]

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2015.10.27 門前總持寺 大祖堂より山門を臨む


当然ではありますが、
京都奈良以外にも素晴らしいお寺が各地に見受けられます。
鉄道も通らない能登半島のおでこの辺り、
門前總持寺祖院は鎮座されています。
今回は時間配分を練りに練って、
一日4便の路線バスに乗って輪島から門前を目指しました。

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山門


正しくは諸嶽山總持寺と言い、
今から約7百年前元亨元年(1321年) 瑩山紹瑾禅師によって開創されました。
翌元亨2年夏禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、
總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められました。
明治31年4月13日不幸にして災禍により七堂伽藍の大部分を焼失、
これを機に布教伝道の中心を神奈川県横浜市鶴見に移しました。
そしてこちらは祖廟として次々に堂宇が再建され、
山内約2万坪の境内には焼失をまぬがれた
伝燈院、慈雲閣、経蔵などのほかに七堂伽藍も再建されました。

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ここ門前は、
平成19年に能登半島地震の影響を大きく受けました。
今でも境内は、
修復のため至るところ工事現場と化しています。
静かで美しい伽藍の風景を取り戻すには、
まだ数年の歳月が必要となりそうです。

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経蔵

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経蔵の柱に据え付けられた、阿吽の獅子


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大祖堂の欄間には、瑩山紹瑾(けいざん じょうきん)の生涯でしょうか
物語となって描かれています


北陸の寺院建築を拝見すると、
欄間や軒下などに緻密な木彫工芸を見ることが出来ます。
これを細かく観察しているだけで、
時間がどんどん過ぎ去ってしまいます。
曹洞宗の簡素な七堂伽藍でありながら、
北陸の特徴である木彫工芸は目を見張る美しさです。

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修復を進めているお堂も・・・・

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伝燈院  瑩山紹瑾の霊廟

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躍動感溢れる彫刻で囲まれています


伽藍を構成する庭は、
残念ながら工事現場となっており
秋を迎える草木との美しい風景を愛でることはできません。
過去に参拝したのはいつのことだったかも思い出せませんが、
ようやく今回参拝することができました。
能登は公共交通機関のみで移動するとなると、
本当に難しいです。



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2015.10.26 あぜのきらめきと地物寿司 [諸国探訪]

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4つに見えた太陽もすっかり落ちて、
能登半島は宵闇に包まれました。
それでもこの日は今年の十三夜翌日、
月が明るく輝き山の稜線がほのかに浮かび上がっています。
曇り空ながら雲間から星が見えることを期待したのですが、
月光が夜空を明るくしてしまいました。

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昼間は、こんな感じ 2015年6月撮影


世界農業遺産千枚田では、
この秋冬もあぜのきらめきが行われています。
太陽電池で蓄電された電力で、
夜は田んぼがLEDの明かりで照らされます。
1004枚の小さな田んぼが、
21,000個のLEDで照らされるのだそうです。

私がこのイベントを見るのはこれで2度目、
始めて開催された年にもたまたま見ることが出来ました。
これまで人気も殆ど無かった千枚田にはポケットパークも設置され、
たくさんのマイカーや観光バスがやってくるようになりました。
寒くなる季節に行うイベントですが、
観光客も十分な準備をして楽しんでいただきたいものです。
もちろん、地元の活性化にも貢献して差し上げて下さい。

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イルミネーションは、
30分ごとに色彩を変えていきます。
徐々に変わっていく色合いが面白いのですが、
結構時間掛かるので寒さには要注意です。

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今回は夜に出歩きたかったので、
夕食無しのシティホテルに宿泊しました。
夕食は地元の方に教わった寿司屋さんにて。
寿司屋さんで舌鼓を打っていらした地元の方々の談笑に混ぜていただいて、
楽しく過しました。

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地物の寿司はどれも新鮮で優しいお味、
美味しい食事をいただけるとほんのりと幸せです。
今観光で大変人気のあるのどぐろもいただきました。
金沢では観光客がこぞって食べたがり、
値段が高騰しているのだそうです。
いくら高くなっても、観光客は欲しがるのだそうな。
地元の方々は、
今の観光の北陸人気を冷めた表情で語っていました。

穏やかな能登の1日が、
終わろうとしています。
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2015.10.26 恋人の聖地?! 曽々木海岸 [諸国探訪]

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2015.10.26 曽々木 波の花遊歩道入り口より


地元の方には、
半日どこへでも案内して下さるとおっしゃっていただけたので
もう10年以上訪れることが出来なかった、
曽々木海岸へ出掛けることを願い出ました。

曽々木海岸は窓岩が有名ですが、
窓岩はさらりと車窓から眺めて
さらに先へ。
近年話題になっている、
パワースポットを目指しました。
もう夕刻、
太陽は雲間から日本海の水平線へ隠れようとしています。

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波の花遊歩道と呼ばれている、
人の手によって開かれた岩場のトンネルです。
八世乃洞門
海蔵寺八世の麒山瑞麟(きざん ずいりん)和尚が開山を決意。
加越能三国を托鉢して浄財を集め、
13年の歳月を要し1792(寛政4)年に「麒山道」と呼ばれる一筋の道を通しました。

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海辺のすぐ近くを通るトンネルからさらに奥へ、
洞窟が広がっています。
私たちはいつも携帯している小さな懐中電灯を手に、
中へ入っていきました。
すると突然、カチン・・・と音がして、
LEDのライトが洞窟をほのかに照らしました。
予測していなかった私たちは、
叫び声を上げてその場で腰を抜かすばかり。
肝試しになってしまった・・・・・(ーー;)

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洞窟の奥は天井が高く、
不動明王が祀られていました。
江戸の和上がお祀りされたのだろうか・・・・
歴史の探究は、
もう少し深くしないといけません。

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振り向くと、
目の高さに波が押し寄せてきます。
洞窟から遊歩道へもどると、
空はさらに暗さを増してきました。
そして、沈もうとしている太陽の姿に歓声・・・・

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太陽は4つ連なって見えました。
懸命にシャッターを切りましたが、
やはり目で見る感動を写真に残すのは難しいです。
徐々に太陽は数が減っていき、
すぅ・・・・・っと消えていきました。
大自然の神秘に、
身体の芯が震えるような心地がしました。

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遊歩道の先は、
平成19年に発生した能登半島地震で崩れ落ちていました。
私たちは再度車に乗り込み、
遊歩道の反対側へ向かいました。

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日も完全に落ち、
海はほのかに残る太陽の明かりのみ。
崖を滑り落ちる垂水の滝の姿も、
ライトアップで追うことが出来ます。
いつか、もう少し明るい景色で観たいですね。
冬の荒々しい波が打ち付けるとこの辺りには波の花が上がり、
滝を落ちる水が波によって上へ持ち上げられるのだそうです。
地元の方によると、
今私たちが見ている波はこの時期初めての「冬の波」であるそうな。

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トンネルの出口には、
角度によってハートに見えるライティングが施されていました。
恋人の聖地?接吻トンネル?・・・・・
ふ~~~~ん・・・・・(-_-)
冷めた話題になってしまいました。

秋の観光シーズン
昼間は観光バスなどで賑わったのではないかと思います。
夕暮れに訪れたのは、私たちだけ。
お日様からの、素晴らしい景色のプレゼントもありました。
このひととき、
ご案内下さった地元の方に感謝です。

一番望んでいた「押しつぶされそうな星空」には、
今回残念ながら出会えませんでした。
明るい月も、夜空を照らしていたのです。
またいつか、
今度はそんな景色が授かりますように。
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2015.10.26 阿岸本誓寺 [諸国探訪]

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2015.10.26 阿岸本誓寺 本堂
同行の方に、立っていただきました。建物のスケール、感じますか?


今回の旅行では
いつも一緒に訪れている母が別行動となったので、
自由に時間を使えるのが助かります。
地元の方が自動車で希望の場所へ連れて行って下さるとのことで、
何年も何年も気になっていた
阿岸本誓寺へ出掛けることをお願いしました。

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阿岸本誓寺の存在を知ったのは、
2003年から放送していたテレビ番組・『五木寛之の百寺巡礼』。
能登に親戚がいるため幼い頃から何度も能登を訪れていながら、
初めて聞くお寺でした。
なんだか本堂は凄いらしい・・・・
心に深く刻まれた姿を求めて最初に出掛けたのはいつのことだったか・・・
その時も、
あまりの迫力に腰が抜けそうになった記憶があります。
誰に連れて行っていただいたかも、記憶はありませんが。

能登は半島に走っていた鉄道も廃止されてしまい、
バス路線から離れている場所に向かうには本当に不便。
バスの本数も少なくて、
この寺に出掛けたくても足はなく途方に暮れていました。

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周囲の建物と比較して下さい


そして今回、
自動車の車窓遠くに本誓寺の茅葺屋根が見えると、
私の心には長年の夢が叶った喜びが沸き上がりました。
本誓寺の門の前に立って、
本堂の驚異的な立ち姿に私たちも立ち尽くすばかりでした。

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写真でその姿を想像していただくことの、
なんと難しいことよ。
茅葺屋根の壮大さ・重厚さは、
言葉で語り尽くせません。
日本の三指に入る大きさであるとのことです。

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色彩は、一切加えられていません。
軒下には北陸の真宗寺院独特の、
緻密な彫刻が施されています。
奈良の神社仏閣ばかりを巡っている私は、
本誓寺本堂の雄々しい姿も恋心のように大好きです。

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人の踏みつけた跡も殆ど見られない、苔むした階段


本誓寺の鎮座する能登半島・門前は、
2007年3月25日にマグニチュード6.7の地震に襲われ
震度6強の揺れを観測しました。
私が本誓寺に初めて参拝したのは、
この地震の前であったと記憶しております。

そして今、
私が見つめている阿岸本誓寺本堂の姿。
地震で半壊したと、
境内の碑文は伝えています。
あと何年耐えられるのだろう、
風雨や地震にも耐えてきた建物の
今にも崩れ落ちそうな危うさを感じました。

同行して下さった地元の方と、
「いやぁ・・・これだけの建築を修復するのは、
並大抵のことでは済まされないでしょう!」
との意見で一致しました。
萱の量も彫刻の緻密さも、
建物のスケールも能登の一角に取り残されたような土地柄も
この寺には難題ばかりが山積しているように見えました。

どうか、生きながらえて欲しい。
その願いだけを置いて、
私は寺を去りました。
ここに立ち尽くしていると、
奈良の至るところで騒がれている修復の問題などは、
まだ恵まれた環境にあるとさえ思います。
なんの役にも立てなかった自分に、
もどかしさを感じながら・・・・・
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2015.10.25 金沢・野田山墓地 [諸国探訪]

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2015.10.25 金沢・野田山墓地 所々に古く苔むした墓石が今でも見受けられます


私は東京生まれの東京育ちなのですが、
先祖の墓所は石川県・金沢にあります。
先祖をさらに遡ると、
江戸時代には奈良県に住んでいたことまで分かりました。
私が奈良に惹かれるのは、
先祖が奈良を恋しがっているのではないかと思うのです。

今回母の希望で,
会ったことのない祖父の年忌法要を執り行うため、
石川県へ出掛けました。

墓所は、
江戸時代の加賀藩藩主である前田家の墓所を中心に拓けた、
野田山の一角にあります。
私が幼い頃は、
墓参に行くにも武家時代の足軽墓所を抜けていくため
苔むした墓石の波の間を抜けていったものでした。
昼なお薄暗く、
毎度毎度肝試しを経験したものでした。
今では国の史跡にも指定され、
今回もガイドブックを手に歩いている観光客を見かけました。
ここ数年は野生の熊の出没が目撃されているそうで、
注意しなくてはいけなくなっているそうです。

我が家の墓所は、
代々守っていただく墓守さんに管理していただいてます。
野田山には江戸期から大変珍しい墓守制度が続いており、
前田家の家臣を務めたお家柄のご家庭に、
我が家の墓所を守っていただいております。
今回は時間にも余裕があったので、
墓守さんとゆっくり会話できました。
現在では墓守を務めて下さるお家もかつての半分に減少し、
この制度はあとしばらくで消滅するであろうとのことです。
現在では市営墓地となりどこかのお寺の檀家でもないので、
墓所を持つご家庭はシルバー人材センターなどに依頼して、
墓所の管理をお願いしているそうです。
自宅が離れてしまったご家庭も多くなり、
墓じまいをすることも増えたとのこと。
それでも野田山墓地に墓所を新設したい希望は多く、
ここに墓所を持つことは困難なのだそうです。

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私が成長するにつれて無縁墓は数多く取り払われ、
新しい墓石の墓所が格段に増えました。
墓地の入り口近くを山側幹線道路の広い自動車道が横切り、
多くの足軽たちの御魂は、
道路によって自動車たちに踏み去られることになりました。

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今回の法要は、
墓守さんのお取り計らいによって
前田家の墓守寺である桃雲寺様に読経をお願いすることになりました。
曹洞宗の由緒あるお寺です。
私は幼い頃からこのお寺の門の趣きに、
畏敬を感じていました。
ご縁があってうれしいです。
我が家の墓所は異なる宗派で建立されていますが、
ここでは気にすることなく法要を執り行うことが出来ました。

ご先祖様がご無事であったからこそ、
今の私は安穏に生活できているのだと思います。


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